こんにちは、a-knowです。
sa-boom!!のリリースのご連絡から早や一ヶ月とちょっと、経ってしまいましたが、またまた別のサービスを作ってみましたので、ぜひ皆さんにもお使い頂きたく、このエントリを書いています。その名も、
ですっ。
どんなサービス?
「愛用品紹介系サービス」の名の通り、ユーザーのみなさんが日頃大事にしておられる「愛用品」を、「逸品(Masterpiece)」として登録・紹介して頂けるサイトです。 投稿時にtwitterに流すことも可能ですし、他のユーザーさんのMasterpieceで「いいなコレ!」と思ったものには、「★(スター)」を付与したり、facebookの「いいね!」をしたりすることもできます。 トップページでは、「★(スター)」獲得数上位5位のアイテムがスライドショー的に表示され、また新着6アイテムが小さなサムネイルと一緒に表示されます。 ぜひこのサービスをきっかけに、ご自分の身の回りにあるものの身近さ・大切さに気づいて頂いて、また今後も、このサービスに登録できるような「愛用品」を増やせるように、日々、ものに触れ合っていってもらえればなと思っています^^。
なんでこんなサービスを?
きっかけは、ぼくの敬愛する糸井重里さんが書かれた、ぼくの大好きな本「ほぼ日刊イトイ新聞の本」の、「子どもの偽ウォークマン」という小題の一節でした。引用するにはちょっと長いのですが、本当に素晴らしい文章なので、敬意を込めて、ここで抜粋・引用させていただきます。
話はいきなり1990年代のはじめにさかのぼる。 ぼくはいつものようにパチンコをした。 そのころのぼくのパチンコというのは、絶対に換金しない遊びだった。いくら玉が出てもお金には換えない。いまのように、何連チャンとかしなかったから、よっぽど出たときでもせいぜい五千発くらいだった。 一個四円の玉を五千発だと、約二万円くらいの景品と交換できる。 ぬいぐるみももらった。傘も獲った。スナック菓子も電池もいっぱい獲った。ライターも、電気カミソリも、CDもビデオテープも、タバコも、イヤってくらいもらったら、だんだん欲しい景品がなくなってくる。 パンツも、お茶漬け海苔も、天体望遠鏡ももらってあって、もうほんとに景品交換所に欲しいものがなくなったときに、ぼくは、S社製でない(といって、N社でもA社でもない)たぶん香港メイドの「ウォークマン」(と呼んではいけないんだ、ほんとは)を、二千五百発程度の数のパチンコ玉と交換した。 ぼくは、ほんもののウォークマンをすでにいくつも買っていたし、使ってはいないけれど、どこかにしまってあるはずだったから、そんな偽物はいらないわけだ。 当時小学生だった娘におもちゃがわりにやればいいかと、雑に考えていたのだと思う。 娘にそれを渡したことさえ忘れて、半年か一年くらい経った。 ぼくは、娘が小さいころから、よく親子で旅行に出ていた。そんなある旅行中、寝る前に彼女が言った。 「こんど、パパ、イヤホンのあたらしいの買ってくれる?」 イヤホンぐらい、いくつでも買ってやらぁな。そうか、壊れたのかい。見れば、当時でも珍しいくらいの不細工なイヤホンだった。 自分の小さなころの理科実験セットなんかにあったものと、変わらない。 さらに気がついたのは、そのイヤホンが付いている偽ウォークマンの、とんでもないほどのデカさと武骨さだった。 「いいよ、イヤホンな。明日、どっかの電器屋で買おう」 「ありがと。おやすみなさい」 彼女は、偽ウォークマンに、だめになりかかっているイヤホンのコードをぐるぐると巻き付けて、そいつを大事そうにベッドサイドに置いて、かけぶとんを頭からかぶった。 自分が、ゴミのようにあつかっていたパチンコの景品が、家族とはいえ別の人間の手に渡って、こんなに大切にされている。 これは、ちょっとショックだった。 なんでも買えばある。なくしても、買えばいい。 古くなったら新しいのを買う。 高いものは簡単には買えないけれど、値段の安いものなら、いくつでも買える。 知らず知らずのうちに、自分にそう考えるくせがついていたらしい。 「大衆消費社会」の構造がそうなているからだとか、ものを大切にするべきだとか、べつに理論や倫理で考えたわけではない。 「偽物の不細工なウォークマン」で、好きなテープを聴き、寝る前にいかにも古臭いイヤホンをぐるぐる巻き付けてそいつをしまう、その姿のほうが、かっこよく思えたのだった。 うらやましい気持ちになったのだ。 その、うらやましがられた本人さえも忘れているだろう「小さすぎる事件」が、どこに行ったときだったのかすら憶えていないが、 「こいつのほうが、かっこいい」 と思ったことは、いつまでも忘れないようにしようと、そのときのぼくは決めていた。 だから、ずっと憶えているのだ。 人が、他の人やものを大事にしているのを見るのは、気持ちがいい。 人やものを、粗末にあつかうのを見るのは、見苦しい。 年寄りの説教のようだが、それは、倫理というよりも、精神的な快感と不快感に置き換えられるもののようだ。
- 作者: 糸井重里,重松清
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2004/10/15
- メディア: 文庫
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これと似たような経験が自分にもあったこともあり、この一節はすごく心に響きました。 そして同時に、「大事にされているもの」を集められる場があれば・・・、それをみんなで共有できれば・・・。そういう考えが浮かぶがはやいか、ぼくは読んでいる本に「大事にしているものを紹介するアプリ」と書き込んでいました。 ちょっと、カタチにするのが遅くなってしまいましたが。ぜひ使ってみて、愛用品・大事にしているものを、教えてください!
作るにあたって、苦労した点、工夫した点とかは?
Masterpieceの技術的(っていっても、やはり今回もそれほど難しいことをしているわけではありませんが)な点に関しては、後日また改めてまとめてみようと思っています。
それではどうぞ、よろしくおねがいします!!