えいのうにっき

a-knowの日記です

自分の殻を突き破った人に、恥をかかせないようにする

ふと自分自身を振り返って、あぁ、こういうの、ときどきあったなーって思ったので。

今までの自分の担当範囲とか守備領域なものを突き破る行動をするのって、誰しも躊躇われるところはあると思うんだけど、その理由のひとつに、「出来もしないのにでしゃばって、結局失敗しちゃったらどうしよう・そうなったら恥ずかしいな」みたいなのって、きっとあると思ってて。で、これがまたそこそこ上位に来る理由なのかなと思ってて。

そういう感情に打ち克って、"突き破った行動" をしたことを、たとえば職場とかで目にしたときって、"その行動が勇気をもって行われた行動であるかどうか" に関わらず、その行動がもたらした最終的な結果にばかり目が行きがちなんだけど。でもまぁ、こういうときの行動って、なかなか結果が伴うもんじゃないんだよねw だからだいたい失敗しちゃう。

んで、結果的には失敗したから、といって、当たらず触らず・生暖かく見守られるだけだったりすると、まぁ失敗は失敗なんで、結局、その人だけがバツが悪いことになってしまう。

これ、非常にもったいないことだなと思っていて。

恥、というのは、一人ではかけない。"他者" との関わりがある上で発生しうる感情なので、"恥" が発生しそうな状況になってしまったら、すかさずそれを打ち消す行動を、これまた "他者" から見える形でする必要があると思ってる。「あら、ダメだったかーw でも、それをやってみた、ってのはイイと思う!」「やってくれてありがとう!自分もやんなきゃなーとは思ってたけど、ずっとできずにいたから、助かるわー」、......まずは反応する、というか。いやもちろん、そういう風に心から思ってること前提!

「行動の評価」と「結果の評価」、ここの境界を曖昧にしたまま、いっしょくたに評価をしちゃうと、いろいろややこしい。「思いきってやってみたけど、恥かいただけだった......おとなしくしとこ」みたいになっちゃって、その結果だけでなく、発端となった行動を起こしたこと、それ自体についても、今後の心理的ハードルをさらに高めてしまう。

前に書いた もっと褒めよう。 も踏まえて、もすこし広いかんじでいうと、"少しでも褒められるポイントはないか、常に意識して接する" ようにしたい、ってところに行き着くんかも。結局は。

あと、そういった対応ができるようになるために...ってワケじゃないけど、人の行動を見て「あ、これは、今までの殼を少なからず破って、頑張ってくれたんだな」って感じ取れる感受性というか、敏感さというか、初心を忘れないことも、必要だと思った。

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