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えいのうにっき

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僕が「はてな」を好きな理由

先日、「はてな村」村民としては遅ればせながら、梅田望夫・著「シリコンバレーから将棋を観る」を読了しました。・・・僕が「はてな村」の村民として迎えられているかどうかは別として。




とても、おもしろかったです。将棋については、僕は各駒の動きをかろうじて把握しているくらいで、今まで「将棋」というものに対して今回ほどまで思いを馳せたことはなかったんじゃないかなというくらいだったんですが。それでも気がついたら、iPhone アプリの「柿木将棋」(450円)をダウンロードしてしまっていたぐらい、この本の中で描かれている「将棋の素晴らしさ」に惹かれてしまいました。(ちなみに現在0勝3敗です・・・(vs 最弱レベル))

この本についての書評・感想は、この「はてな村」の至る所で成されていると思います(それも素晴らしいものが)ので、ここで僕がそういったものを書くことはやめておこうと思うのだけれど・・・。

ただ、ひとつだけ。本書の最後の方、梅田さんと羽生さんとの対談の中で、「一流の棋士棋士との共同作業により生まれる棋譜は一種の芸術作品であり、棋譜の最終形を模索するその姿は「科学者・研究者が真理を追い求める姿勢」と酷似している。対局の果て、最後にどのようなものが生まれるのかは、当の本人たちにもわかっていない。だがそれが、(羽生本人には)この上なく楽しく、面白い。そしてその姿に、著者を初めとした多くの人が魅了されている。“最終的にどんなものに行き着くか、それを予めわかってやっている姿”には、人は惹かれないものなのだ。棋士たちのように、“やっている本人たちにも(最終形が)わかっていないという姿でいる”ということが、他者に影響を与える上で良いことなのだろう。」・・・というような下りが、ありました。

これを読むまで、僕は「なーんか、好きなんだよなぁ」という気持ちで、「はてな」に接してきてました。そして、今までにもこの気持ちを無理矢理解釈しようとして、「他ではやってない、おもしろいことをやってるから?」「将来性があるから?」などという理由を思い浮かべてみたこともあったんですが、そのどれもが、どうもしっくりこないものでした。間違いではないけれど言いたいことの半分も表現しきれていない、・・・というような。


そんななか、この下りを読んで、思わず僕はハッとしました。「そうか、僕ははてなの“何が生まれ出てくるのかがわからない”部分に惹かれてるんだ!」と。


少し拡大解釈するならば、将棋でいうところの「羽生さん」が「はてな」なら、「対局者」は「はてなの利用者」になるんじゃないか、と思えてきます。「はてなブックマーク」というサービスひとつとっても、「さらにより良い、はてブのあるべき姿」について真剣に・活発に議論が成されている、「はてな」を中心とするコミュニティ。僕にはそれが、棋士棋士が「歴史に残る棋譜」を模索する姿にダブって見えて、仕方がないのです。


・・・そんなことを思うと、「いつか僕もその“真理”を希求するための一助に・・・」という気持ちを、押さえずにはいられなくなるのです。


シリコンバレーから将棋を観る―羽生善治と現代

シリコンバレーから将棋を観る―羽生善治と現代