以前、ちょこちょこ読んでいた「島 耕作」シリーズ。 その中に、
「きっと、人間の幸せの総量ってのは決まってるんだろうな」 「幸せな思いをしたぶんだけ 不幸せな思いもするようになってる」 <<
てなかんじのフレーズがありました(ような気がする)。
もしそれが本当だと仮定するならば、「あるときはメチャクチャ幸せ」「あるときはズンドコ不幸」という、「振れ幅の大きい幸せの受け取り方」と、「毎日、ちょっとした幸と不幸が入れ替わり立ち代り訪れる」ような「振れ幅の小さい幸せの受け取り方」のどちらかのパターンに、分類できるよね。
大きな幸せと大きな不幸せを経験する人と、そこそこいいことあったかな?そういや悪いこともあったよな?みたいな感じの人。
どちらも幸せの総量は一定できまってるかもしれんけど、その幸せの受け取り方そのものでまた、その人が「幸せ」だったか「不幸せ」だったかが、決まることってないだろーか?
前者は、なんとなく、最後に「あー、良く生きたー!!」って感じれそう。 後者は、・・・どうなんでしょうね。
「なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ なるべくいっぱい集めよう」 <<
といってたのは誰だっけ。ブルーハーツか。 これは本心?それとも皮肉??