えいのうにっき

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はてな上場のこのタイミングで、『「へんな会社」のつくり方』をもう一度読んでみた

はてなさん、上場(上場承認)、おめでとうございます!

「へんな会社」のつくり方 (NT2X)

「へんな会社」のつくり方 (NT2X)

ぼくと、『「へんな会社」のつくり方

最初に少しだけ、この本とぼくの出会いとかについて書いておきたい。

この本に出会った当時は、ぼくがまだ地元・岡山のとあるシステム開発会社で「SE」をやっていたころ。1,2年目だろうか。 ようやく自分の周りの仕事も見え始めてきたころで、同時に「プログラミングによって何かを作り、それを使ってもらうこと」の現実(の一面)も見えてきはじめてたころでもあった。

ここ最近の風潮で「SI はだめだ、やめとけ」「SI じゃあ僕のやりたいことはできない!」みたいなものがあるけど、僕はもっと浅いところで迷ってた。 SI に対して明確な不満を抱けるほどの自信はなく、それよりは、もっとこう漠然とした、「自分のやりたいこと(プログラミングによって何かを作り、それを使ってもらうこと)は、やはり仕事にはしないほうがいいんだろうか…」というような不安。 「本当に自分のやりたいことができる仕事なんて、世の中にあるんだろうか」みたいなことを、日々思ってた。

今でこそ、「Web 業界って選択肢もあるじゃん」みたいなことを想像もできるけど、当時、ただただ不安に感じていたのもムリもなくて。 というのも、今みたいな「Web 系開発」の現場、みたいなものは、当時も存在はしていた・そういうものがあると知ってはいたものの、そこに入ることができるのは、本当の本当にウデの立つ人しかムリなものだ、という思い込みみたいなものが、少なくとも僕には、あったからだ(でもたぶん当時はホントに生半可な実力じゃ箸にも棒にも掛からなかったんじゃないかな)。…まぁそれくらい、その業界に関する情報を受け取る手段が少なかったんだな、くらいに、好意的に解釈してやってほしい。w

そんなとき、「こういうことを仕事にしている人がいるんだ!」「もしかしたら、万が一にも、自分もこういうふうな仕事の仕方ができる(場所に飛び込める)かもしれない!」という、一筋の光明を感じさせてくれたのが、この本だった。「(いわゆる)Web系の開発を仕事にしてみたい!*1」と思わせてくれた本。つまり、この本を読んでいなければ今のぼくは無かった、といっても過言ではないくらいの、運命の一冊。

そんな本を今、読み返すのは、上場というこのタイミングだから、……ということは決してなくて、この年末年始あたりに、「そういやあの本、今もう一度読んでみたいなぁ」「だいぶ前の本だけど、だからこそなにか新鮮な発見があるかもなぁ」「また違った見え方ができるかもなぁ」なんてちょうど思っていたのだ。…いや、ほんとに!w なので、タイトルは釣りってことになる。ゴメンスマン許してソーリー。

2006年刊行のこの本を、2016年の今、読んでみた

読み返しはじめて、まず思ったのが、「当時この本は、(まださほど広くはなかったであろう)Web 業界で、どのように受け入れられたんだろう?」ということ。

いまでこそ、他の会社がどういうふうにシステム開発のしごとをしているか、みたいな「内情」的なことを知ることは、メディアの発達もあるし当事者の意識の変化もあって、それほど難しい世の中ではなくなったように思う。でもどうだろう、このような開発プロセスの現場について知ることは、当時も既に今と変わらないレベルでできるもんだったんだろうか?

それを踏まえて、書かれている内容が今見ても全く色褪せないことばかり、というのが、驚きしかない。

  • 当時、他社ではあまり行われていないような試みを率先して実行していた
    • はてなはよく「変な会社」と言われます。社内の会議をラジオのように配布したり、サービスを開発するために合宿をしたり、(P.2)
    • 毎朝、開発陣によるミーティングをしているのですが、その会議は全員で立って行っています。(P.34)
  • 50% の完成度でサービスをリリースする
    • ウェブサービスの場合、半分くらいの完成度で出した方が、実際はうまく行く確率が高いようです。(P.92)
  • 進行管理システム「あしか」!
    • これ、いまやどこの会社でも当たり前にやっているであろう「かんばん」の仕組みと同じじゃないか!(P.37・↓の写真)

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ちなみに、「アジャイルソフトウェア開発宣言」 がまとめられたのが、2001年のこと。2006年の当時からすると5年も前のことではあるが、本書内では「アジャイル」なんていう単語は一度たりとも出てきていない。このような開発プロセスは、現場の試行錯誤によって何度か失敗しながらも生み出された、とされていたけど、だとするとこのチームの柔軟さ・変化に対する強さ、すごいとしか言いようがない。

はてなの力として自信を持っていえることといえば、こうしたさまざまな手法をすぐに試すことのできる柔軟さ、対応の速さと、常に変わり続けようとする気持ちの強さではないかと思います。(P.142)

「情報共有」についても、10年以上前から真摯に取り組まれていた

情報会議というコミュニティが発足したのが昨年・2015年。 この本を読んでいると、今でも理想的だと思えるような情報共有の仕方が、既にいろんなかたちで、はてな社内では実現されていたんだということに気付かされる。

  • たとえ未熟な考えだろうと、世の中に広く出した方が良いことが多いのではないか(P.3)
    • まさにここ最近の、「生煮え・WIP な情報を共有する意義」といった考え方に通ずる気がする。
    • これを「インターネットは知恵の増殖装置」という表現をしているのが、なんとも当時っぽい。w
  • 情報共有とは、「自分のこと」を「多くの人のこと」に変える方法である(P.24)
    • 問題の原因となったようなことまで相手と共有することで、 自分だけの問題から「自分と相手の問題」に変えることができる、という文脈で。
  • せめて嘘はつかない 問題を誠実に伝える人に
    • 実際に仕事をする上でも適切な情報共有を行う ことを考えたとき、これらができない人には難しい、としている。

2005年の3月にはてな取締役に就任された梅田望夫氏が、就任後、はてな社内のグループウェアのアカウントをもらったときのことをこう書いている。

取締役就任が決まった翌日、私は近藤からはてな社内のグループウェアのアカウントをもらった。アクセスして、まず驚き、そしてしばらくして、その新しさに惹かれた。組織内で起こっている何から何までが社員全員に公開され、本来ならば組織内のごく一部の人だけが読むべき、普通なら電子メールでやり取りされる内容も、すべて全員が読めるようになっていたからである。(P.179)

あと、自分の今の会社での状況も相まって、特にはっとさせられたのは、以下の文脈。

大事なのは、「その情報を出すべきかどうか」を、情報発信者が判断しないということです。すべての情報を出しておいて、情報閲覧者が「その情報を読むべきかどうか」を判断すればよい、と考えるべきです。 社内の掲示板やグループウェアで情報を共有するようにすると、書き込まれた内容に「まるで興味の無い話をこんな場所に書くな」という意見が出ることがあります。こういう話が出たときに、どうしたら「興味の無い話を書く社員の口をふさげるか」を考えてはいけません。むしろ、どうすれば「興味のある話だけを読む仕組み」が作れるか、と考えるべきでしょう。(P.32)

「情報は閲覧者が選択する」。ぼくの今いる会社でも、たまに「これ、 Qiita:Team に一つの記事として投稿すればいいのに」「いや、こんなしょぼいことで記事にするのもはばかられて…」みたいな会話をすることがあるんだけど、まさにこれだなぁと。

オープンであること・オープンであろうとすること

この本を読んでいて一貫して感じられたのは、はてな創業者である近藤氏は、「オープンであること・オープンであろうとすること」に並々ならぬ意識とエネルギーを傾けている、ということ。そして多分、ぼくが「はてな」をそれほど知らなかった当時、この本を読んで、最も深く心に刻み込まれたことも、きっとこれ。つまり、「はてな=オープンな組織」という刷り込みに近いものがぼくにあるのは、この本を読んでいたからだった。

ルールが、当事者と違う場所で作られ、それが絶対的真理であるかのように受け入れられ、そのルールに疑問を呈することはタブー視され、現場では理由も示されず、本質から外れた管理が行われ、疑問を持った当事者が疑問を投げかける窓口も用意されず、推理に近い努力をしないとその理由すらわからない。 こうした状況がとてもつらかったので、僕は次第に「権力」と「情報の隠蔽」に敏感になるようになりました。でたらめさを感じる時はいつも、「権力」や「情報の隠蔽」が関係していそうだと気が付いたのです。(P.16)

 

こうやって見てくると、僕は「好きなようにやりたいのに、そうさせてくれない強制的な力」がどうにも気になって、その強制の根拠を納得いくまで知りたがる傾向があるようです。自分が何かを運営して、そこに他の人々が参加してくれることがあるならば、できる限りこうした不便さを無くしたい、と常々思っていました。(P.19)

このようなことを近藤氏が意識するようになったのは、氏の少年時代の出来事にあったことがきっかけかもしれないが、それが経営者となった当時でも薄れることなく・むしろ確固たるものとなったのは、はてなが一般のユーザーに(よりよく)使われるようなものを作り、提供することを目的とした組織だったから、なんだろう。

社内での風通しが悪く、どれだけ素晴らしいアイデアが上がっても押しつぶされてしまうような組織では、たとえユーザーから多くの素晴らしい意見が寄せられてもそれを活かすことはできず、次第にユーザーは離れていってしまうでしょう。信頼関係は長い時間をかけて少しずつ作り上げていくものであり、しかりあっさりと崩れてしまうものです。(P.72)

 

(空調の温度設定を変えてくれない図書館側に対して、いくつか意見はあったが、結局言わなかったことに対して)我ながらそれなりにまっとうな意見だったと思います。意見を言わなかったのは、「どうせ言っても聞いてもらえなさそうだ」というどうしようもない諦めがあったからです。(中略)意見を言う側にとっては、窓口がそこにあることよりも、まっとうな意見が聞き入れられるかどうか、という組織の体制の方がよほど重要です。(P.74)

「まっとうな意見が通る組織」にすることは、誰のためでもない、ユーザーのためなのだ、としている。

「ユーザーの声を聞く」ことを否定する理由は次第に薄れていくでしょう。多くの企業や組織が、IT技術を駆使しながら、利用者や他のステークホルダーと積極的に対話していくような社会になっていきます。そのときに向けて、「まっとうな意見が通る組織」を作ることが、より重要になるのではないでしょうか。(P.75)

この本の惜しむらくは、「社内をどうやってそのような “まっとうな意見が通る組織” にしているか」という話が少ない点、だろうか。……いや、でも、2006年当時に「はてな」のような会社に自然と集まるような人たちであれば、そのような形の組織となるのは、それほど意識せずとも達成できることなのかもしれない。

作り手の想像力には限界がある

今やぼくも SI から Web 系に転職し、何年かその現場を経験したこともあって、今この本を手に取る際に「こういうことについても書かれていたよね、きっと」という期待をしていたことがある。そのうちのひとつが、「ユーザーにより早く価値を届ける」「そこで得られたフィードバックを、次の価値に繋げる」、という、アジャイル開発で大事だとされている考え方。そんな僕の期待にも、『「へんな会社」のつくり方』は、「へんな会社」らしいフレーズで応えてくれていた。それが、P.92 からの節で、「作り手の想像力には限界がある」という表現をしてくれていた。

どれだけ面白い仕組みを考えついたり、いろいろな人の立場になって考えることが得意な人間でも、あるサービスが数十万人に利用されたときに、その中で何が起き、どのような機能が必要になるかをすべて想像することはできません。(P.93)

 

そのサービスが「どのようなプラスの発展を遂げるか」ということについては、最初から作り込んでおくのではなく、リリースしてから考える余地を相当残しておいた方が面白いサービスができます。(P.94)

「ユーザーにより早く価値を届ける」「そこで得られたフィードバックを、次の価値に繋げる」 とかいう表現ではなくこのようなフレーズが出るあたりは、BtoC な自社サービスを展開しているからこその表現だなー、と素直に思った。

また、それだけではなく、それをやっていくときに心がけたいこと・心強くなれる心構えも添えられていた。

これを実践するときに一番の抵抗になるのが、「絶対に不具合があってはいけない」という意見でしょう。こういう意見は基本的に正論ですし、どうしても力が強くなります。しかし「おいおい、そんなことして大丈夫か?」と批判する前に、どんな危険性について心配しているのかを評価し、ありきたりな正論が「不確定な可能性」を削いでいないかを一度考えてみることが大事です。(P.99)

今後は変化の時代、変化に対する柔軟さの必要性についても説かれていた

今の世の中を生き抜く術としても、既に一般に語られまくっている「変化に柔軟に対応する」ことについても、近藤氏は独特な表現をしていておもしろい。

子どものこころ、遊びのこころを持つことは、インターネットがもたらす変化に対する最大の防御であり、最大の攻撃手段ではないでしょうか。(P.129)

 

子どものようなこころを持った人たちがこれからもどんどん登場して、まだまだ世の中は変わっていくでしょう。そんな変化の中で、自分たちも「はてな」というサービスでそうした場を提供していきます。大きな社会の変化に加わり、あわよくばその変化の原動力に加われるよう、これからも前に進んで行きたいと思います。(P.129)

「そうした場を提供していきます」、と言い切れちゃうところがまず、「子どものようなこころ」で、好きだなぁ。賛否両論はあるみたいだけど、少なくとも僕は、そのような場を提供しようと頑張っている姿は、ここ数年でも見受けられていると思ってる。

10年越しの感想

他にも、ここに挙げたことの5倍くらいはメモりながら読んでいたんだけど、それ全部挙げてくと取り留めがなくなってしまいそうだからこのへんでやめる(既に取り留めのないかんじになっているという説もある)。冒頭にも書いたけど、内容は本当に色あせないし、若かりし頃の naoya さんの写真も見れたりするので、みんなもぜひもう一度読んでほしいなと思う。

今回、僕が読んだタイミングとしては多分8年ぶり?なんだけど、読んでみて、「当時の自分がなぜはてなを好きになったか」を思い出せただけじゃなく、「今の自分がなぜまだはてなを好きなのか」という理由も再確認できたので、古い本ではあるけれど、読んでとても良かったと思っている。ときどき仲間内で、「好きな会社ってある?その理由は?」っていう話になるけど、これでまたいつその話題になっても大丈夫、かな。

今のはてなは、この本に書かれている「はてな」と、なにがどう変わっているんだろう。なにが変わらないままでいるんだろう。純粋に、知りたいなと思った。 …あ。でも最近、Mackerel(はてなが提供している、サーバー監視サービス)に、ヘルプページの typo についてフィードバックを送ったってことがあったんだけど。 翌日くらいにはリアクションが返ってきたし、そうじゃなくても、週に一度アップデートを続けていたり、頻繁にミートアップをしたり、そういう姿は、この本に書かれている「はてな」と、さして違いはないように感じるなー。しかるべきところにしっかりリソースを割いて、「はてならしい」運営をしているな、というのが正直な感想。エラそーだけど。

あとは、自分の立ち上げた会社が上場し、自身は会長という役職になった近藤さん。今、どのようなことを考え、何かをしようとしているのかしていないのか、そのあたりも、気になって仕方がない。

だって、僕たちがやっていることは誰を幸せにしていて、誰を幸せにしていないのかっていう、プラスとマイナスの収支をプラスにしていかないと、はっきり言ってやらないほうがいいと思うんですよ、僕は。本人がもうかるかどうかじゃなくって、社会に対してプラスを提供したのとマイナスを取った差が利益だと思うんですよ。それが会社の存在価値で、その最大化をやるべきであって、手元のキャッシュを最大化したって、別に100年後に何の評価もされないですよね。(P.170)

感謝

何かが楽しくないからといって、それを人のせいにするのは絶対にやめましょう。自分がもっと楽しくする努力を怠っているだけのことです。本当にやる気になれば、きっと自分でも物事を変えられるはずです。少なくとも確かなことは、何かを試してみなければ決して変わることはないということです。どうすればもっと良くなるかを考える。良いと思ったら試してみる。この本に書いたことは、全部そうやって生まれてきました。たったそれだけのことです。あなたにも絶対に出来るはずです。(P.176)

改めて、僕が今の僕になれたのは、この本のこの言葉があったから…、、この言葉一言一句は、今、読み返すまで忘れてたけど、その言わんとするところは当時も今も常に心にあったからだ、ということに気づきました。近藤さん、この素晴らしい本を、本当にありがとうございました。



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*1:まぁ、言ってしまうと「はてなに入りたい!」だったんだけどねw