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えいのうにっき

主に Web 系技術ネタ。背景画像 is powered by grass-graph.shitemil.works

プログラムに、愛を込めて。

先日友人とファミレスでダベっていたときに、マンガ「ONE PIECE」の話になりまして。僕は最初の十数巻しか読んでないんですが(完結してから一気読みするタイプ)、「オモロいよな」「アツいよな」なんて、ありきたりな話をしてました。その会話の途中で、「でもあの作者、本当にマンガが好きで描いてるってのが伝わってくるよなぁ、ひしひしと」というような話に。




実際のところがどうなのかは僕にはわかりませんし、なんでそう感じるのか(例えば作者のその姿勢とか、マンガを描く上での技術的なこととかでしょうかね)ということを厳密に挙げることもできないのですが、僕とその友人以外にも、そのように感じている人は少なからずいるようです(Google検索「尾田栄一郎 本当に漫画を描くのが好き」)。


このようなことを人に感じさせることができる、というのは、「マンガ」「絵」というような、人から生み出される創作物としてはアナログな部類に入るものについてだからこそ、という考え方もあるかもしれませんが、一方で僕は、同じようなことが「プログラム」「システム」「ソフトウェア」といったような、どちらかと言えばデジタルな部類に入るであろうものにも、言えるんじゃないかなと思うのです。


実際に「ゲーム」なんかでも、「これ、本当にこのゲームのことを好きで作ったんだろうなぁ」と感じるものがあるように思います。例えば・・・そうですねぇ、初代ポケモンなんかはそれに近いんじゃないでしょうか、個人的には。ポケモン一匹一匹に付された図鑑の説明だとか、やりこみのための要素にもなる“努力値”の設定だとか。当時はまだまだ容量の制約が厳しかったであろうにも関わらず、151匹という数のポケモンを詰め込んだところとかも、それに該当すると言えるかもしれませんね。(フツーに作っていたら数十匹しか入れられなかったらしい、という談話を見た覚えがあります。。)

このままポケモンを例に使いますが、このポケモンが爆発的に売れてから、似たようなゲームが矢継ぎ早にリリースされたりもしましたよね。「パクり」とは言わないまでも、「あ、これポケモンのマネしてるな」と、子どもでも感じ取れるようなゲームの氾濫。
でも、生き残らなかった。それは、「ポケモンのマネであった」ということに起因する差別化が図れなかったということもあるでしょうが、なにより、「愛」がそこになかったからだと思うのです。

一見デジタルなものであっても・機能的には同等のレベルが実現されていたとしても、例えばシステムの作り込みの精緻さとか、細部にわたるささやかな配慮などに、作り手の「愛」「情熱」というのは顕著に現れるように思います。そしてそれは必ず使い手に、得も言われぬ印象、心地良さのようなものを与える。
ゲームに限らず、「プログラム」「システム」の、特に機能的な部分っていうのはマネされやすいものだと思います。「モンスターを集めて、仲間にする」とか、「全国の人とオークション形式で物品のやりとりができる」とか。・・・機能が模倣されやすいのであれば、そのあとの明暗を分かつのは、いかにその対象物に「愛」が注がれているか・・・ではないかと、「ONE PIECE」の話をしながら思い耽ったわけです。



そういう意味で、僕の作っているプログラム、ソフトウェアはどうでしょうか。・・・うーん。

「愛」を込めるために・・・細部にわたるまで作り込みをする為に、技術が必要な場合もあります。そして、逆の考え方もできるでしょう。対象物に対しての底知れぬ「愛」があって、それをただただ込めようとするならば、その「愛」の力でどんな難しい技術も身に付けられるはず。・・・そういう意味では、まだまだ僕は、「愛」「情熱」が足りないのかもしれません。