えいのうにっき

a-knowの日記です

ミニ・雑感。クルマとぼく。(3)

こんにちは。a-knowです。 シリーズ化してしまった愛車についてのおはなし、今日で最後になります。

-独特の造形・デザイン -その存在に歴史あり -好きなところは「ドアの音」? -クルマを運転する楽しさ。「走り」について --トランスミッションについて。 --加速感について。 --足回りについて。 -その他。居住性・インテリアなどについて。 <<


**その他。居住性・インテリアなどについて。 その他ということで、まずは居住性について。 これをビートルやミニで語ること自体ナンセンスだと思うのですが、そのナンセンスなクルマ同士を比べた場合、「2人までなら、どちらも最高に快適。3人以上になると、ビートルも狭かったけど、ミニはもう無理」という評価になっちゃいます。まぁこれには、ビートルは3ナンバー・ミニは5ナンバーという違いもあると思うのですが(あと、運転手(ぼく)の体がデカい)。。 まぁ、クルマを運転しはじめて5年が経ちますが、3人4人をクルマに乗せたということ自体が数えるほどしかなかったので、ここはもう割り切ってます。滅多にない“3人以上を乗せるシーン”を考えてクルマ選びをするほど、僕に余裕はありません。笑

続いてインテリア。ビートルの、ブルーのバックライトの大きなスピードメーターや、その横にそっと添えられている一輪挿しはかなり好きだったんですが、全体的にプラスチッキーというか、チープな印象があって、それが少しイヤでした(現行の(といってもこないだ生産終了してしまいましたが)ニュービートルだと改善されてるかも)。 一方のミニについては、ビートルのそれよりは幾分好感が持てるものになってはいるんですが、インテリアデザインについては初代ニューミニの方が気に入ってたりします。かたや、外見・エクステリアデザインは現行ミニの方が好きなので、「インテリアデザイン:初代ミニ」「エクステリアデザイン:現行ミニ」「車両性能・信頼性:現行ミニ」というような軍配の内訳で、ここらへんは無いものねだりをしても仕方ないですし、取捨選択になるかなと思っています。

あとはブレーキダストについて・・・。聞いてはいたのですが、ミニの方は、純正のブレーキパッドだとすごい量が出ますね。ビートルのときには全く気にしたことがなかった点なんですが・・・。まぁ、ホイールの色(ビートルはシルバー、ミニはホワイト)も関係してるのかな。少し走っただけでスポークに黒い粉が付着しますし、一週間もすればもう真っ黒です。。

あと地味なポイントなんですが、ミニはリアの水ハケがあんまり良くないですね。雨に降られた翌日、フロントやサイドはそれほどでもなくても、リアはドロドロ・・・ということが、よくあります。まぁこれも、こまめに洗車してやれば良いだけの話です。

**最後に、“ミニ(クルマ)に乗ること”について、ムリヤリ考えてみる。 とまぁ、思いがけずもだらだらと書き連ねてしまいましたが・・・。 クルマに乗るようになってから、そしてクルマに感動するようになってから、「クルマ」というものは、一つの巨大な「人工物」、「仕組み」「機工」の結晶なのだなぁと、そして、どれひとつ欠けてもなりたたない、一種の芸術作品だなぁと、改めて実感するようになりました。

そして、そういう点では、「クルマ」と僕が生業にしてる・していきたいと思ってる「情報システム・Webサービス」は同じじゃないか、とも。

優れたシステム・サービスを利用することで日々の生活が豊かになったり便利になったりすることで得られる“快感”と、刺激的なクルマを自在に操ることで得られる“快感”。そのどちらの“快感”も、人の手による膨大な「仕組み」の組み合わせが生み出してくれている。また、そういった「出来上がるまでの過程」だけでなく、そのときに働かせる思考回路も、似ているような気がして。 クルマとIT、一見縁遠い両者にも思えますが、「クルマを駆る楽しさ」だったりの“良いクルマの良いトコロ”を、今後のIT・ウェブにおけるものづくりのどこかしらに、生かせることができるんじゃないかと、そんな気がして仕方が無かったりします。

そう考えると、最先端の技術を駆使して最先端のものづくりをしていく「若者」が、そういう良いクルマに触れる機会が減ってきている、といわれているのは、すごくもったいないことであるような気もしないでもないです。もちろん、モノというのはクルマだけではないのは当然ですが、それでも、個人レベルで所有できるテクノロジーの塊、という意味では、クルマ以上のものはなかなかないように思います。 もちろん、クルマを所有することの合理性などを考えると、大部分がそういう方向へシフトしちゃうのも当然かと思える部分もありますけどね・・・。。でも、「ムダ」な体験から得られるもの、生み出されるものが文化じゃん?てなことも思うんですよね。ウェブサービスでもたくさんありますよね。ムダな、わけわからんサービス。笑 でも、おもしろい。僕ら若者が新しいシステム・ウェブサービスを造ろうとしていること、それは文化を作ろうとしていることと同義かも。

振り返ってみても、私たちの生活を巡る様々な製品にはカメラのシャッター音から車のドアの音、あるいは靴の音などのように、かつてはある種のノイズとしか思われていなかった「音」が今や製品を司る上質さの基準となっている事例も多く発見できる。暮らしの周りをよく観察して、音という軸でもう一度製品の上質さに関わる評価のあり方を見直すこともデザイン開発のうえで有意義な試みではないかと考える。

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先日、目にした記事。ちょうど前回の記事でクルマのドアの音のことについて書いたけれど、つまるところ、こういうことなのかな。ITサービスに高級感・上質さ・・・というと、まだちょっとピンと来ないところもあるけれど、もうそういうステージの可能性について模索しはじめても良いのかも。