えいのうにっき

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人生を「うずめる」ところ。

もう一ヶ月ほど前のことになるんですが、梅田望夫さんの「ウェブ時代をゆく」を読了しました。6月に「シリコンバレーから将棋を観る」を読んだのを皮切りに、梅田さんの著書を遡って読んでいっているんですが、僕にとって梅田さんの紡ぐ言葉は、そのどれもが深く響いてきます。今回のこの「ウェブ時代をゆく」からも非常に多くのモノを得られたのですが、今日書こうとしているのはそのことそのものについてではなく。。

本文中、「オープンソースプロジェクトの成功」について語られる際に、以下のような表現がありました。

シリコンバレー在住のハッカー、石黒邦宏さんに対して)
そして私は重ねて「オープンソース・プロジェクトも、成功するものと失敗するものがあるよね。もちろんほとんどは失敗するよね。その差は何だと思う」と尋ねた。
「成功するかどうかは、人生をうずめている奴が一人いるかどうかですね」と彼は端的に答えた。

この表現には、オープンソースプロジェクトについてのみあらず、物事の成功のためのファクターとしてうまく言い表されているように・・・、、言い得て妙だな、と感じました。「人生をうずめる」という表現から連想される没頭具合、それがあれば、確かに何でもできそうだな、と。

自分のことと照らし合わせて見ても、今の/今までの自分のやってきた仕事も、(短いながらも)4年近くという自分の人生を投じたことで初めて出来たものばかりだったように思うと同時に、そうしないとできなかった、というふうにも、思っています。目の前の仕事をこなすためには、否応無しに人生を投じざるを得なかった、というような表現にもなるかもしれません。

ただ最近・・・社会人になって4年近くが経ち、「人生をうずめるところ」について再考する時間が増えてきました。今・現時点で携われているこの仕事に人生を懸けること、そのことには躊躇いは感じていません。でも、今僕が歩いているこのレールの先にある仕事、それについても「きっとそうだよ」と未来の自分に保証できるだけの確信が、今の僕にはありません。いやむしろ、今携われているこの仕事は、本当に今のうちだけなんだという予感がしてたりしています。

成功のためだけに「人生を投じる」のではなく

人生を投入したからこそできることがあると同時に、また、人生を投入しないと身に付けられないものもあるよなぁ・・・ということを、最近、Twitterのタイムラインを見ていて思うようになりました。
今の自分が投入しているものとは少し違う(全然違うわけじゃぁないんだよなぁ、これが)ものに、その人生を投じている人がいる。そしてその人達のことを眩しく見上げる自分もいる。。。

今は、自分がやりたいこと(といっても、明確にそれだと自覚できているかどうかには自信はないので、「ワクワクすること」とかいう表現が一番しっくりくるかもしれないです)や身に付けたいことを、余暇を使ってやっているけれど、「彼の人達のことを眩しく見上げる自分」のためにも、そのことに「人生をうずめ」られる体制を早めに作ってあげたいな、と思っています。


じゃないと、本当に一生後悔しそうな気がする。


ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

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