えいのうにっき

a-knowの日記です

お金を対価に、僕がはてなから享受しているものの正体。

最近、「はてなと有料サービスのあり方」について考えることが多くなったなぁと感じています。そして、そんな僕と同じような人も多いように思います・・・というよりも、色んな人が考えるようになっているからこそ、つられて僕も、そのことについて考えを巡らせる時間が多くなった、というのが本当のところなんでしょう。

多くの人が、さまざまな理由ではてなの有料サービスを利用しはじめたり、また利用を止めたりしています。

「わくわく」や「ドキドキ」を感じる事ができたら、有料版を使う理由になるかもしれない。例え、「必要性」を感じなくても。 (中略) でも、今のはてなのサービスは、はてなダイアリーはてなブックマークはてなフォトライフと、どれも私にとって必要なサービスなのだけど、無料版で十分だと感じているので、有料版を使う理由が無いのです。それで、有料サービスの利用を中止しました。

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私は、好きとか嫌いとか、そうした感情でお金を支払わないんですよ。

必要か、必要じゃないかでしかない。

だからダイアリープラスに280ポイント支払うと決めました。

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かくいう僕も、はてなの有料サービスを利用している人間だったりしますが、例えば「iPhoneを使うために毎月の基本使用料を支払っている」というような、(結果的には同じことだとしても、)純粋に「その機能を利用するための対価として、利用料を払っている」という意識・感覚でははてなの有料サービスを利用していないな、というのが、サービス利用当初からずっと持ち続けている感覚です。

**じゃぁ僕は、何に対してお金を払っているのか 私事になりますが、僕はスピッツ(歌う方)が好きで、「スピッツベルゲン」というファンクラブに入会してたりします。年会費は3500円。一ヶ月あたりでいうと、300円くらいになりますか。 ファンクラブに入会していることの特典といえば、年4回の会報誌だったり、ライブチケットの先行予約だったり。・・・でも、僕はそれほど熱心な会報の読者というわけでもないし、ライブチケットも、まぁ一般発売日にちょっと頑張れば、僕が住んでるような地方のライブならさほど苦労せずに取ることができます。・・・じゃぁ、僕は一体何に対して、一ヶ月300円というお金を払っているんでしょう。

**自分の時間を切り売りすることで得たお金を払う、ということ 僕は、当然スピッツの歌声だったり歌詞だったりも好きなわけですが、「どこまでも愚直に自分達のスタイルを貫く姿」だったり、「時にはとんでもない冒険をしてみたりする姿」だったり、「もっと器用な生き方もあるはずなのにどこか不器用で、またそんなところも自分達なんだと受け入れている姿」だったり・・・こそが、僕がスピッツを好きな本当のところだったりします。そんな彼らを僕が受け入れていることの最大限の表現として、“自分の時間を切り売りすることで得たお金を払う”が僕の中にあるように、思っています。 そしてこの感覚は、僕がはてなにお金を払うときのそれとよく似ているなと感じています。

**「好きなもの」との一体感 僕は、スピッツのライブに行くたびに必ずといっていいほどライブTシャツを買い、また買ったそれは大事にしまっておいたりなどはせず、毎日の普段着として着用しています。スピッツの曲が好きでよく聴いている、というだけでなく、ライブ会場でしか買えない、それも決して安くはないTシャツを着ることで得られる、この一体感。このTシャツを着ることで、「僕」という人間・考え方の大半を表現できているような感覚に、包まれるわけです。 そんなことをして僕が嬉しく感じるのは、スピッツが僕の思い描く理想の姿だったり、憧れの対象・イメージだったりするからであって。もしも彼らが突然「そう」じゃなくなった(と思えた)ら、おそらく僕は静かにその場から去るでしょう。。

**「観」を選び合う時代 先日、はてなのブログサービス「はてなダイアリー」が「日記」から「blog」になった、ということが話題になっていました。機能的に何が変わったというわけでもない為か、それほど気にしないという人もおられたようでしたが、僕自身は、最近のはてなの行った更新・変更の類の中では結構大きなインパクトのあるものだったなぁと感じています。 先日の日記で、“糸井重里さんが「これからは『幸福観』を選び合う時代だ」と述べていた”、と紹介しましたが、日が経つにつれ、僕はそれをもうちょっと大きく、「これからは『観』を選び合う時代だ」、というふうに言ったほうがしっくりくるなぁ、と思えてきています。

かん くわん 【観】  (1)目に映った印象。物事の様子・状態。    o 「別人の―がある」    o 「侵すべからざる如き―ある処の外科室/外科室(鏡花)」  (2)〔仏〕 特定の想念や心の本性などを心の中で観察し、仏教の真理に達する方法。     →止観  (3)接尾語的に用いて、…に対する考え方・見方などの意を表す。    o 「人生―」    o 「歴史―」

大辞林 第二版 goo辞書より

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そして今回のこの変更は、「はてな」というものが体現していた「観」へ大きな影響を与えるものだったように思います。もしかすると今回のことで、はてなに求めている「観」が大きく揺らいでしまったという人も、いたかもしれません。

はてなが提供していたサービスがこういうもので、それを厳密に定義に照らし合わせたら、それは「ブログ」でした」。・・・はてなが真に神経を尖らせるべきはそんなことではなく、「はてなの中」にいながらにして「はてなの外」の人がどのように「はてな」を捉えているか・・・。「はてな」を「はてな」らしくしてくれている「観」がどのようなものであるかを察知し、それを壊さないように、なおかつ育んでいくことではないでしょうか。

「普通の企業」とは違って、「“透明な(のように感じる)”雰囲気を持っている」ことと、「この先、なにをしでかしてくれるかわからない」ところ、それが、僕がはてなに求めている「観」です(もちろんこれは人によって様々で、だからこそ難しいんですが)。全ての決定に対する経緯を出来る限りクリアにする。それも、ただクリアにするんじゃなくって、はてなを使う人」が納得するレベルがどういったものかを、自分に厳しく問いながら。そんでもって、「はてラボ」のようなサービスを、継続的にどんどんリリースしていく。その殆どがゾンビ化したって、いいじゃない!そのような活動をすること自体が「はてな」の潜在的な価値を高めるのに一役買ってくれていると僕は思うし、挫けそうになったときこそ、梅田さんの唱える「楽観主義」を発揮して欲しいとも、僕は思う。

こういった要素はこの先増えていくこともあるかと思いますが、現時点においてこのふたつを失っては、「はてな」は僕の求める「はてな」足りえません。そしてそんな僕自身を、僕は少数派だとは思えません。こういう方は、相当数おられるんじゃないでしょうか。

はてな営利企業ですから、有料サービス・グッズの類はどんどんリリースすれば良いんです。そのこと自体は、僕を含む多くの人の「はてな観」には影響しないと思います(今まで無料で出来ていたものを有料化する、という場合は別ですが)。できるだけ多くの種類の有料サービスを作ることで、利用者のそれぞれが納得できる形でのお金の払い方ができる「窓口」を、選択できるようにする。一件すると「そのサービス」を売っているようにも見えるけれど、その実、みんなに買ってもらっているのは「はてな観」。そういうのもアリじゃないかと思うんです。

僕は、はてなのTシャツも一枚、持っています。パーカーも、好みの色とサイズのものがあれば欲しかった。ストラップも50個限定で売り出されたときにすぐに購入したし、今後も新しいグッズの販売があれば「必ず購入します」と、「まだ」言うことができます。

  1. えーの
    a_know Tシャツ等のグッズがそれなりに売れている=「はてな」というブランドイメージの確立がある程度できている、という事なんだろうな。それって何気にスゴいな/という事を「今日の僕は全身はてな一色(Tシャツ・ストラップ)だ」と気付いて思ったw http://twitpic.com/bbiui
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↑は一ヶ月ほど前の僕のつぶやきですが・・・。はてなが「はてな」らしくいること、それだけでも今の世の中、とても貴重なことだと思うのです。