えいのうにっき

むかしのじぶんのために書いています

愛犬が逝った。

先週の金曜日、愛犬のハナが逝った。約18歳、人間の年齢に換算すると100歳近い高齢だった。ハナを引き取ったとき既に1歳であったから、この家では17年。その年月の大きさがピンとこなくて、そんなに長い間、本当に一緒に過ごしていたっけ、という、驚きにも近い感慨を感じている。今自分が26歳だから、その3分の2ほどを一緒に生きてきたわけだ。
この17年をハナとどう過ごしてきたのか、思い出しながらつらつらと書いていこうと思う。

出会い

ハナとの出会いは、17年ほど前。それまでに飼っていた犬(チャコといい、これもまた長生きした。16,7歳だった)が死んで、数ヶ月経った頃ぐらいだったと思う。近所のおばさんが飼っていたのがハナで、それを貰い受けたのが始まりだった。このときに関して感動的なエピソードというようなものは全くなく、おばさんは「もう1歳になって大きくなったから飼えない」と、そこらで遊んでいた子供に声を掛けまくっていた。最終的に手を挙げた貰い手は、僕と、もう一人、女の子。ジャンケンで勝った者が犬を引き取る、という、なんともはや、な出会いだった。
このジャンケンで負けていたら、どうなっていたんだろう。

大きくなった、とおばさんはいっていたが、柴犬とスピッツの雑種であったハナは、それ以上は大きくならなかった。小型犬というほど小さくもないが、中型犬というとなんだか背伸びしている感じ。そんな犬だった。

晩年のチャコは足が不自由になっており、散歩に行くにも乳母車に乗せてもらっての上でのことだった。だからその頃、小学校4、5年の男の子だった僕には、犬の散歩は退屈なものだった。いつも、おばあちゃんと一緒に乳母車についてトボトボ歩き回るだけ。
だけど、新しく来たハナは違った。妹の漕ぐ自転車にも負けなかった僕が全力で走っても、どれだけズルくフライングをしても、ハナはどんどん加速して、ロープを持つ僕をぐいぐいと引っ張っていく。僕はハナに毎日のように完敗していた。

イタズラもよくした。家には庭があったが、ハナを驚かそうと落とし穴を掘ったこともあった。昼寝しているところを「ワッ!」と起こしたこともあれば、眠っているその体の周りに石コロを積んだこともあった。ネコとのバトルを嗾けたことも。水溜りで水を飲んでいるところに、足で水をハネさせてビショ濡れにさせたこともあった。このときは、しばらく水溜りに近寄ろうとしなかったっけ。とにかく僕は、悪い飼い主だった。

出産と別れ

中学2年のころ、ハナは1匹、子供を生んだ。ハナにしろチャコにしろ、成犬になってからしか犬を飼ったことのなかった家族は、その生まれたてでコロッコロのオス犬を、大変可愛がった。家族は好き勝手に名前を呼んでいたが、僕は「ゴンベ」と呼んでいた。名無しのゴンベ。
手を叩くと、目の前50センチまでは尻尾を振って走り寄ってくるのだが、そこではたと立ち止まり、思い出したかのように母親の元へ走り帰る様を、とても微笑ましく、またハナを羨ましくも思った。

ある土曜日。早く帰って遊びたい、というワケでも特別無かったが、僕は中学校から家へ、走って帰っていた。息を切らしながら帰り着いた家の庭で、おばあちゃんがゴンベを強く叩くような、押さえつけるような動作をしていた。その横で、ハナが心配そうに覗き込んでいる。あまりの動作の激しさに、時折吠えながら。


「どうしたん?!」「ワンコが、息をしとらん。」


息をせられえ(しなさい)、息をせられえ、と繰り返しながら、心臓マッサージのようにゴンベの胸を押さえつけるおばあちゃんは泣いていたし、見ていられなかった。ゴンベが走り回るようになったというので首輪をしはじめていたのだが、それが災いした。おそらく母親のハナの周りをぐるぐると回っていたのだろう、見つけたときは、ハナのロープに引きずられるようにぐったりしていたのだという。
まさか、こんなにも早くゴンベと別れることになるとは。そのときの家族の落胆は大きかった。そんな中、一番悲しんでいたおばあちゃんが、自分自身に言い聞かせるように、「家で飼っとる動物は、その家に住む人間に降りかかる不幸の身代わりになってくれるんじゃ。今回ワンコは、家族の誰かに何かが起こるのを、身代わりになって防いでくれたんじゃ」と言っていたのを強く覚えている。

一方のハナは何にもわかっていないようで、翌日からゴンベの姿が見えなくても何の変わりも無かった。「何もわかってないんだな」と思っていたから、ゴンベを送る際、「最後のお別れに」と花の敷き詰められたダンボール箱に横たわるゴンベをハナに見せたときの、その耳を劈くような鳴き声には、とても申し訳なく思った。ダンボール箱をしまっても、しばらく吠え続けていた。「私の子をどうしたのよ?!」と言っているように聞こえて仕方が無かった。いくら母親でも、いや母親だからこそ、知らせない方が良いことがあるのだとそのとき思った。

ライバル?

僕が高校に入ってすぐくらいのとき、家に新たな動物がやってきた。ウサギとアヒルだ。ウサギはまだしも、アヒルはウソっぽく聞こえるかもしれないが、本当だ。ウサギは庭に囲いをつくってそこに放し、またアヒルは、まだ毛が黄色かったのでしばらくは家の中のケージで飼っていた。
最初はピーピー鳴いていたアヒルも、時期に羽の色が真っ白になり、ガーガーととんでもない鳴き声を発するようになり、家の中から追い出すようにウサギと同じ囲いに放り込んだ。
当然、ハナが良い顔をするわけはない。ウサギにしろアヒルにしろ、これでもかというほどに吠え立てまくっていた。ウサギは自分の掘った穴に隠れた。が、アヒルはハナを全く意に介さない。自ら囲いを飛び越え、ハナに挑んでいくほどだった。

何度かの大喧嘩の末、我が家の庭の頂点に君臨した(してしまった)のはアヒル。ハナにドッグフードをあげても、ハナと競い合うように食べあい、結局その半分以上はアヒルの胃袋に収まってしまっていた。ハナは、アヒルと目を合わせないようになってしまっていた。

晩年

その後、僕は京都の大学に進学し、ペット達と触れ合う時間が極端に減少した。それでも、帰省するたびにハナの散歩に行き、年々変わっていく風景を眺めながら歩いた。
ときどき、昔のように走ってもみた。その時で既に12,3歳、人間でいえばもう高齢者に分類されてもおかしくない年齢だったが、毎回驚くほど元気に走った。が、僕が追い抜かれることも、僕が先に音を上げることも、もうなかった。走り出しはするが、すぐにハナは小走りになり、歩きに変わっていた。僕は、それで十分だから、これからも元気でいろよ、と思った。

僕が就職した一昨年ぐらいから、ハナの左後ろ足が震えだした。寒いわけではなく、高齢から来る神経痛のようなものらしい。そのときは、歩くのはもちろん、走るのにも全く影響はなかった。散歩のコースも、いつも通り変わらなかった。
そして去年頃から、後ろ足に力が入らなくなってきていた。普段庭では、女座りのような座り方で座るようになっていた。ちょっとした移動にも、前足で体を引きずるようにして体を動かしていた。地元で就職したものの、家を出て一人暮らしをしていた僕は、おばあちゃんに、「普段、どうやって散歩しよん?」と聞いた。するとおばあちゃんは「こうじゃ」と、おもむろにハナのしっぽを掴んでぎゅっと上に持ち上げた。ハナはそれに促されたかのようにヨロヨロの足をしっかり踏ん張り、自分の足で歩いて見せた。「無理矢理じゃな」と苦笑いしながら、その日はおばあちゃんと僕とハナとで散歩をした。

そして今年11月に入ってからの数週間は、あのチャコと同じように、乳母車に乗せて散歩をしていたのだという。「そんな散歩、意味あるん?」と聞いたら、「ハナはキョロキョロ周りを見とるよ」と、おばあちゃん。おばあちゃんとハナは、言葉以上の何かで繋がっている。

11月8日

11月8日の土曜日。用事があり実家に帰ったとき、冷たい雨が降る中、庭でハナが鳴いていた。もはや後ろ足はまったく動かず、前足だけでジタバタしていた。とにかくビックリして、タオルでハナの体を拭きながら家の中のおばあちゃんを呼んだ。「どうしてこんなとこおるん?!」「また出とったんか。小屋に入れても、狭いところはイヤじゃいうて出てきてしまうんよ。」体を拭いている最中も、時折思い出したかのように鳴く。ハナにはもう、目も耳も鼻さえも効いていない様子で、体を拭いているのが僕かおばあちゃんかもわかっていないようだった。その鳴き声は、寒いとか、痛いとか、苦しいとかではなく、むしろ悲しいとか寂しいとか、そういう声に聞こえた。死んだゴンベを見せたときのあの声が思い出された。

その日は、相変わらず雨も降り続いていたし、小屋に入れると出てきてしまうらしいので、扉の付いている長屋に入れた。翌日はもう、前日のような鳴き声で鳴くことはなく、ケロっとした顔をしていたが、なんとなく僕は「もう、近いかもしれないな」と思っていた。

11月14日

11月13日の木曜日、深夜。実家にいる妹から電話が掛かってきた。ハナが鳴き止まない。病院でされることはひとつかもしれないが、病院に連れて行きたい。今でもやっている病院がないか、調べてくれ。とのこと。病院でされること、とは即ち、安楽死。妹の声は、覚悟の滲んだ、神妙なものだった。
生憎、というべきかどうなのか、岡山には深夜0時を越えて診てくれる動物病院はなかった。その0時まで診てくれる病院にも電話をしたが、出なかった。そのときの結論は、「とりあえず、明日の朝まで様子を見る。朝になっても泣き止まなければ、朝一番で病院に行く」とのことだった。十数年も連れ添った家族の命に関する決断を、妹一人に押し付けてしまうわけにはいかない。「朝行くのなら午前半休を取って俺も行くから、そのとき連絡をくれ」とだけ伝えた。電話口を通して聞こえるハナの鳴き声は、一週間前のものと同じように聞こえた。


11月14日の金曜日、ハナが亡くなったことをメールで知った。


ハナは立派だった。ハナ自身が選んだわけではないが、安楽死ではなく、自身の寿命を最期まで生きた。生き抜いた。
ハナの悲しさ、寂しさを和らげてあげることができなかったことは、とても残念だが、体を拭いていたときのハナの様子を見るに、それは誰であっても取り除いてあげられるようなものではなかったように感じる。人間が、目に見えぬ死への恐怖を感じるように、ハナも、得体の知れないなにかに対して吠え続けていたように思う。
そもそも、ハナが本当に悲しさや寂しさを感じてあのように鳴いていたのかどうかは、僕にはわからない。おばあちゃんは、あの鳴き声をどのように受け取っただろうか。聞くとなんでも、普段乳母車での散歩のときは静かにしているのが、その日は散歩の頃からあてもなく吠えていたそうだ。ハナは、自らの死期を悟っていたのかもしれない。


死ぬ時はみんな同じだ。死ぬのはみんな怖い。でも、どう抗っても、それはやってくる。
今回はたまたま、一足早く、ハナに先に死が訪れた。が、じき、僕のところにもそれはやってくる。ハナのように吠え続けながらだろうか、それとも聖人君子のように潔くだろうか。どちらでも良いが、最期まで生き抜くということはしなくてはならない。ハナがやってのけたんだから、飼い主の僕がやらないわけにはいかない。道半ばで自ら命を絶つようなズルをしたらきっと、あの世では一緒に散歩に行ってくれないだろうな。

11月15日

11月15日の土曜日。昼一番にハナを送ることになったと連絡を受け、実家に向かって移動した。途中で花屋によって、花を買った。「愛犬が死んで、敷き詰められるような花が欲しいんですけど」というと、店員さんはキレイな花をたくさん選んでくれた。ハナには、エサやロープ、首輪などを買ってやったことはあったが、花を買うことになろうとは思わなかった。と同時に、きっとハナはこんなのには目もくれないんだろうな、と思い、ちょっと笑った。

家につくと、ハナは小ぶりのダンボール箱に入っていた。フタを開けると、すでにハナはたくさんの色とりどりの花の中にいた。とてもキレイだった。ハナ自身、とてもいい面構えをしていて、美人だったが、今日が一番、キレイだと思った。
買ってきた花を、体の横に添えた。お前には、おいしいエサの方がええんかな?でもゴメンな、俺らの自己満足やけど、こういうことさせてな。そう、言い訳しながら。

ここ数日、天気が悪い日が多かったが、その日はウソのように晴れ渡っていた。ペット葬儀屋が迎えに来るまでの間、僕はハナの傍に座り、上に書いたようなことをひたすら思い返し続けていた。17年って、ちょっとまって計算おかしくない?と思っていたが、こうして振り返ると、ああ、確かに17年、一緒に過ごしていたんだなと感じた。
ふと、ハナに触れてみた。冷たかったが、この撫で心地は紛れもなく、ハナだった。もう、ハナを撫でてやることも、それに目を細めるハナの顔を見ることもできない。


そうこうするうちに、葬儀屋が来た。簡易な祭壇を作ってくれ、線香をあげさせてくれた。その際におばあちゃんが「長い間連れ添うてくれて、ありがとな」とハナに呟いていたのが、とても心に響いた。僕にとってハナは、ある時は友達でありライバルであったが、おばあちゃんにとってはこの17年、変わらず共に歩いてきたパートナーだったのだ。


ありがとう、ハナ。安らかに。また一緒に、かけっこしよう。
そんときはきっと俺、おっさんだから、手加減してな。