えいのうにっき

むかしのじぶんのために書いています

信じる者は・・・?

エホバの証人と輸血の問題。ふとした拍子に目に留まったので。このページが訴えかけている問題やその本質とは、少し違ったものになるかもしれませんが、思ったことを。




1年と少しほど前にも、輸血を拒否して患者(確か本人が信者)が死亡するという事件?があったのを覚えています。これはまぁ極端な例だと思いますが、「信じる」ってことは本来、そのぐらいの意味を持つ、その人にとってとても大きな行動なんだよな、と改めて感じました。


近頃報道されるニュースなどを見ていると、自分で大して調べもせず、適当な感覚で相手の言うことを鵜呑みにして、それでいて自分にとって都合が悪くなれば「信じてたのに。騙された」と平気で言ってのけてしまうような、そんな人が増えてきているような気がします。

信じるってことはそんなに軽いものでも都合の良いものでもなく・・・。無数の「信用」の上に成り立っている現代が、その感覚を鈍らせているんでしょうが・・・。


上のような言葉を吐く人は、結局、過去の自分とその選択を、今の自分が頭ごなしに否定しているだけ。ただただ、自分で自分の価値を貶めているだけ。

自ずと出るべき言葉は、「十分な吟味の上で選択したが、見抜けなかった。今後は気をつけなければ」というニュアンスを含んだものになるのかな(泣き寝入りしろ、というわけではないです。相手に悪意があるのなら、断固戦うべきであると思います)。 こういう言葉が自ずと、出せるように、日々目の前に続々と現れる多くの「選択」に、取り組むべきじゃないのでしょうか。


(何も信じることのできない世の中も、それはそれで悲しいものだと思いますけど・・・)