えいのうにっき

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五感で感じる季節

先日・・・情報処理試験の受験のため、岡山大学への道を友人と歩いていた際。友人がふと、コンビニの傍にはためく「おでん」と書かれたノボリを見て、「ああ、もうそんな季節か。」と言った。
「そうだなー」と気のない返事を返しながら、試験前だというのにふと、僕は物思いに耽ってしまった。「もうそんな季節。ホント、“もう”だよなー」「っつーか、おでんのノボリで季節を感じるとは・・・」「そういえば最近、こうやって外を歩くこと自体が減ってきたし、たまにこうして歩いても、全然周りに目をやってないもんな・・・無理もないか」・・・など、いろいろと。





秋。少し前まで「秋」といえば、まっさきにイメージするのは「周りがとても色鮮やかになる季節」。木々は紅葉という衣を身にまとい、人々はそれをみて心の底から秋の到来を感じる。春に咲く花々の穏やかな色もいいけれど、赤や橙といった、寒さへの準備とも感じられる暖かな色も、とってもいい。

そんなことを考えながら、変わらぬペースで試験会場へ歩を進めていたら、ふとデジャヴのように、「何年か前に過ごした、秋」の感覚が、ブワワっと蘇って来た。一瞬だけ、その当時の気持ちにすっかりと戻ってしまったような、そんな感覚。別にそのとき、紅葉に色づく木々のような「秋」を感じさせる特別なものを目にしたわけでも、その「何年か前」のことについて深く考えていたわけでもないのに。だのに、反射的に、それが思い出されてしまった。

なんでだ・・・と、およそ情報処理試験前の人間が考え悩むべきではないようなことをしばらく思い巡らせ、そしてふと思い当たる・・・。僕の頭のなかの「秋」という引き出しを思わず開かせたのは、おそらく、その瞬間にふっと鼻の前を過ぎった「匂い」だということ。その日・その場所では、おそらく今まで何度も通り過ぎた「秋」の中で(気づかずに・無意識的に)感じていた、キンモクセイの香りと少し湿り気を帯びた土のような匂いが混ざり合ったものが、そこに漂っていたようだった。時間的に朝早くの時間帯ということも手伝って、のことかもしれない。そう考えてみると、季節という環境が生み出す「匂い」というのは、いろいろな要素が絶妙な関係で交わりながらも、毎年同じように、そこに漂っているように感じてならなくなってきた。

コンビニでおでんを売り始めたのを見ると秋や冬の到来を感じるのももちろんだけど、それならば、「おでんを始めたコンビニ内の匂い」もまた、その季節独特なものではないかなと思う。また、これは個人的なことなのだけれども、スイセンの花の香りをかぐと、実家のことを思い出してしまう。なんのことはない、祖母がスイセンが大好きで、庭でたくさん育てていたものだから。

このような「匂い」が記憶を呼び起こすことを「プルースト効果」と呼ぶらしい。匂いにより半ば反射的に記憶が呼び起こされるため、思い出した側も、思わず大きな感動を感じるのだろう。しかしやっぱり、匂いだけではどことなく物足りないような感じもする。ましてや「秋」というすばらしい季節ならばなおさらではないだろうか。紅葉に色づく木々を「目」で見てしっかりと心に刻み、立ち込める自然の匂いをしっかり「鼻」で感じ、秋という季節が生み出すさまざまな食材を「舌」で味わい、冬へとゆっくり歩みを進めるその空気を「肌」でしっかりと感じ・・・そして一歩踏み出すごとにカサカサとこすれあい音を出す枯葉に「耳」を傾けて・・・。そしてなにより大事にしたいのは、この先、どの感覚からの刺激を受けても、しっかりとその日一日を思い出として思い出せるように、今・この日を過ごして行くことかなと思った。